「世界遺産候補 石見銀山へ」
2005年 09月 17日
世界遺産候補に名乗りをあげている「石見銀山(いわみぎんざん)」へ行ってきました。
その昔、年間に38トンも採掘されていた銀は、現在取り尽くされてありません。
幕府に献上されたほか、海外にも輸出されていたようです。
17世紀頃の日本の産出銀は世界の3分の1を占めていたようですが、さらにその中の殆どは、この石見銀山から採られていたそうです。
この一帯は大森町と呼ばれていることから地元では大森銀山とも呼びます。
ステキなふるい町並みを見る前に、間歩(まぶ)を見てみることにしました。
↓天気が悪い日で霧がかかっています。間歩の入り口です。
ここは間歩の中では一番大きなもので、一般公開され中まで入れる唯一の間歩です。
「龍源寺間歩」といい、山道を登ったところにあります。
中は真っ暗ですが、人が立って歩けるくらいの高さはあります。
↓写真加工済み。本当はもっと真っ暗です。
この大きな本線から小さな副線が出ています。人が1人やっと寝そべることが出来るくらいの大きさです。
↓途中で鍾乳石が。じわじわとしみ出ているようです。
この坑道で10~20代の若者が働いていました。
結核が流行り、また、粉塵でとても早死にだったそうです。
近くにはこの銀山で働いて亡くなった方たちを弔った五百羅漢もあります。
穴を掘る者、石を運び出す者、湧き水を外へ出す者。色んな分担をしながら、多くの人がこの山で働いていました。
近くにあったお店で色々お話を伺いました。
現在、銀はもう採りつくしてなくなっているのですが、大水などで流された小さなかけらが、かなり遠くの畑などから見つかることもあるそうです。
そんなものの中で、大きなものを見せてもらいました。
↓光っているのが銀。こういった大きなものはおそらくこのお店も借りているだけで、値段は付けられないほどの価値があるとのことでした。
↓こちらは逆に筋に入った黒いものが銀。酸化鉄の状態になっているそうです。
↓このお店は黒もじ(高級なつまようじに使われる)でお香を作っているお店でした。
叩けば叩くほど良い香りです。母にひとつお土産買いました。
龍源寺間歩に行く途中にも沢山の坑道があり、間歩番号が付けられています。
しかしどれもとても狭く、よくこの中で作業が出来たね!って感じです。
石見銀山まで来ても間歩まで行く人は少なそうです。
でもぜひこれを見て欲しいと思いました。車でも入れる道がありますし、駐車場もあります。
この狭い街に当時は何十万人もの人が働いていたとも言われています。
歴史そのものを見て、感動しつつ間歩を後にしました。
うっそうとした木々に囲まれ、そこで銀が採れる。
知っているところが、世界遺産になるなんて夢みたいなことですよね。
これから、観光客が増えるんでしょうね。
私もどこか緑溢れるところに遠足に行きたいなあ。
こんなにステキだなんて、行ってみてびっくりしました!
初めて行ったと思っていたのですが、今回の帰省で子供の頃の写真の中から両親と一緒に石見銀山代官所前で撮った写真が出てきて。w
しかし新鮮な目で見ると本当に素晴らしいですね!
今回私が資料館に行っていればそういう細かいのもわかったと思いますが、今回は行きませんでした。
この石見銀山でも送風機みたいなのをつくっていたみたいです。
空気がとってもわるかったみたいなので。
30歳まで生きていれば長生きとしてお祝いをしたと・・・。若い坑人たちが亡くなっていったと聞くとその歴史に深く頭が下がります。。
17世紀には世界の3分の1だなんて、すごい人数の人々がここで働き、
今の日本の経済へと繋げたんでしょうね。
真っ暗な間歩の中、入ってみたいけど暗いのが苦手なので、
入り口で臆病風に吹かれて引き返しそうです。
最後の森林の写真はホッとしますね。空気がおいしそう!!
aiさんのご実家は島根なのですね^^
石見銀山って本当に感動でした。
実は私も間歩に入る前、怖くてひるんでいたんです。
でも一歩入ってみると中は明るくてしかもひんやり。
見ながら進むうちにだんだんとその世界にどっぷり浸かりました。
あれだけ掘るのって大変だったろうなと、昔の苦労に想いをはせました。