「岐阜・恵那市岩村 もうひとりの女城主がいた岩村城」

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岐阜県へ行ってきました。
今回の目的地は「恵那(えな)市」。
東京から向かうと、名古屋まで行ってそこからぐっと長野側へ回り込んだような位置です。
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ここからさらに進んだ岩村という駅は、「岩村城」があった場所。
岩村城は「大和高取城(奈良県)」、「備中松山城(岡山県)」と並ぶ、日本三大山城とされている城。そして山道には時代ごとに修復され今も残される石垣が続き、日本のマチュピチュとも言われるような素晴らしい景観を残しています。

城下町も素晴らしく見応えがあって、予想して以上に面白い街でした。
今日からレポートしていきますね!

さて早速その岩村城へ登った時のお話です。
この岩村城には昔「女城主」がいたことがありました。
日本でも女城主がいたとされている記録は6~7件しかなく、またその中でも確実に史実として確認されているのは4件くらいしかないのだそうです。
もっとも有名なのは現在NHK大河ドラマで放送されている「おんな城主・直虎」。
女性が人の目につくような行動をすることすらはばかられた時代。
女性がトップに立って人を率いるなどトンデモだった頃、その座で人々を導くなど本当にできていたのでしょうか…。
このアンビリーバボーなことがこの城では行われていたというのです。

登城しまーす。
おや?思ったよりも山道だな。。。
それもそのはずこの山は霧が多く発生するほど標高も高く、岩村城は「霧が城」とも呼ばれています。
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先に書いておくと、岩村城そのものは廃城令により取り壊されています。
しかしもともと天守閣はなかったとのこと。
この理由は「山の上は住みにくかったから」。
敵にとっても山城は攻めにくかったけど、住む方としても不便この上なく、山の下の藩主邸を住居としていたんですって。
これは山城には良くあることらしいのです。敵が攻めてきたら慌てて山へ登っていたんでしょうかねー。
復元された太鼓櫓がある場所が藩主邸があったところ。
これ、なんとあの元竹下登総理のふるさと創生1億円で作ったと聞いて、なんとなく親近感を覚える(笑)
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途中、木々の間から眼下に城下町が見えました。
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山登りしながらふと、女城主だったおつやさんもここを登ったのかなぁなどと。
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ぽろぽろと石垣が見えてきましたー。
山の形を利用して高いところから追ってきた敵を狙える場所や、自分たちが渡った後に橋を外して敵が渡れないようにする畳橋の跡などを見ることができます。
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岩村城は内陸であることもあり、様々な勢力が周囲を取り巻いていました。
尾張の織田信長、甲斐の武田信玄、美濃の斎藤道三などが虎視眈々と狙いを定めている場所でした。
ゆえに頑丈な城郭を作る必要があったんですね。
日本の真ん中にある故どーしても・・・、この辺タイヘンだったんだな。

石垣がすばらしいです。野面積みや布積みなど。修復されたところまでも、どれもがすごい。
崩れたところは昔の資料から作り直すことができたそう。岩村の人たちの城にかける想いはかなり強い!
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そろそろ女城主のお話もいたしましょう。
岩村城を開城したのは加藤景廉(かげかど)でした。その子である景朝は遠山荘という荘園を相続したことから、遠山という氏を名乗ります。
この遠山は時代劇で有名な「遠山の金さん」の遠山です。

この何代か後の遠山景任の元に嫁いできたのが後の女城主「おつやの方」です。
おつやの方は織田信長の叔母さん。これはまさに政略結婚です。
信長は、喉から手が出るほどに欲しかった美濃の地へ、自分の叔母を送り込んだのです。
甥っ子のくせに。

景任とおつやの間には子供が出来なかったので、自分たちの跡取りとして信長の子供であった御坊丸を可愛がっていました。
その後景任が病死。御坊丸はまだ小さかったので、そのままおつやが城主を継ぎました。
おつやは美人であったということですし、領民にも親しまれる女城主になりました。
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その頃、甲斐の武田側も岩村城へと手を伸ばしていました。
家来の一人であった秋山信友が城へと攻め込んできたのです。
敵に対し籠城作戦をきめ込んで信長からの援軍を待つおつや。
そんなこともあろうかと、井戸は城郭の中に17個も作っておきました。
なんとか早く、援軍よ来い来い。
しかしこの頃織田信長も長島の一揆などで前へと進めずにいました。
そうして3か月が過ぎ、アカンもうだめ…となる中、秋山信友は無血開城を申し入れます。
条件は、おつやが秋山信友の妻になるというもの。
おつやは領民や兵士のため、また御坊丸のために、敵である秋山信友の妻になることを決めました。

数年間は秋山信友と一緒に岩村城を守り続けたおつや。
しかし織田勢と武田勢の勢力が入れ替わると、ついに織田軍が岩村城の「裏切者」へと攻め入りました。
開城を迫られた信友とおつやは、領民の命と自分たちの命を守ることを条件に降伏。
が、開城した途端織田勢は城兵を殺害、信友とおつやは捕らえられ、長良川の河川敷で逆さづりにされて処刑されてしまいました。

道中、霧ケ井があります。
ここに蛇の骨を投げ込むと霧が出て敵から城を守った、という言い伝えがあったそうです。
今では神事に使われる神水として利用されています。なのでしめ縄があるんですねー
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岩村城は山の天然の形をそのまま使っていることがわかる石垣。
ひし形に作られている。
他にも何面体にもなっている場所もあり、鈍角な角を持つ石垣が見事です。
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そして最も見どころであるのは、江戸時代後半に作られた六段壁。
元々は1枚の段差のない石垣だったとか。だとしたらなおさらものすごい高さに驚くし、それが崩れないようにと段々にしたって昔の人すごいー。
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足元には元々のこの山の石が使われています。(丸いの)
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上から見ると足がすくむ。。。
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足元もきちんと見るといいですよ。
門をつけていた跡。
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ここがゴール。
本丸があった場所。
今はガランと広い空き地のようですが標高717mで景色がとてもいいです。
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恵那は東京よりも1か月半くらい季節が遅い気がしました。
この日は雪も降ってきて(3月上旬)ほんとに寒かった。
夏のトレッキングにはぴったりの場所で、また美しい苔が見られる場所のようです。
良い季節に来たらまた景色も違うだろうと思います。
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Commented by aozoracafe123 at 2017-03-15 19:36
はじめまして☆
ここ、すごいですよね~!
僕も行ったことがあります。
まさに東洋のマチュピチュですね。
Commented by 55aiai at 2017-03-18 10:52
aozoracafe123さん
はじめまして。コメントありがとうございます。
岩村すごく見応えありました。グルメも、すでにまた食べたくなっていますし、まだまだ見落としたところがある気がします。
ガイドのおじさんも詳しく教えてくれて、人も街も雰囲気が良かったので、また再訪したい場所です♪
by 55aiai | 2017-03-13 07:00 |   ●岐阜県恵那市 | Comments(2)

ライター・西村愛のブログ


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