「東北・仙台から帰ってきました」
2011年 05月 18日
仙台から昨日夜遅く、帰ってきました。
日曜日からの2泊3日の間、特に大きな余震もなくて良かったです。。
ほぼ丸2日間で8軒の飲食店、そこに関わっておられる10数名の方にお話を聞いてきました。
仙台では都会的でもあり緑が拡がる中心部と、作並温泉という山間部分の行き来でした。
(レポートにもしますが中心部は全くホテルが取れない状態であり、ボランティアの方を含め宮城県内の中心に近いところに散らばって宿泊している状態です。)
天気にはとても恵まれ美しい景色と美味しい空気に癒されつつも、本題の方では非常に重たい内容にも触れることになりました。
町中で頻繁に見かけた災害派遣の自衛隊、被災地の復旧に携わるトラック、たまたまお会いしたボランティアの方。
姿勢を正してお礼を言いました。
被害の大きかったところへは、用事のある場所へ向かう途中で通りがかりいくつかカメラに収めたのですが、私自身これから写真を整理する中でどれくらいこのじぶん日記にアップするか、出来るのかはわかりません。
今回の仙台では1000枚くらいの写真を撮り、事実として目の前にあったこと、話として伺った事、そして私が感じた事と照らし合わせながら随時アップしていきます。
頭も心も整理出来ていない状態の今、情報という大きな泉の中から1本光が射しているのは、
被災地である仙台と被災者であった仙台の人が、我々首都圏に住む人間よりもずっと早く被災者支援を始めているという強さです。
言葉足らずを怖がらずに言えば、この2カ月で信じられないくらいの復興を果たした町が沢山あり、そして人々が動き出しているということです。
少しでも皆さんに知ってもらいたくて、そして被災から立ち直った町に日本中から観光に行きたくなるようなお手伝いしたくて、来週からレポートを始めます。
駅前飲食店8軒と、作並温泉、湯神神社、作並系・平賀こけし店8代目、延命餅、フルーツのいたがき。そして仙台空港周辺と多賀城、七ヶ浜。
【東北支援project 記事まとめ:時系列】
◆東北・仙台から帰ってきました
◆東北支援project 第1弾:仙台 Presented by 山形食べ頃ドットコム(オープニング&到着するまで)
◆仙台 イタリアンレストラン チロル仙台店のコスモポリタン
◆仙台 飲食業界の方へのインタビューでわかったこと
◆仙台泉区 ステーキ宮 八乙女店のひとくちてっぱんステーキ
◆仙台 和風オイスターバー kakiyaの松島産カキフライと金華サイダー
◆仙台・作並 作並温泉 鷹泉閣 岩松旅館 岩風呂とお部屋
◆仙台・作並温泉 広瀬川と作並こけし平賀謙次郎商店
◆仙台 縁・YENISHI(えにし)の比内地鶏もも焼
◆仙台 牛すじ薪(しん)の牛すじ赤・白
◆仙台 ハミングバードの生パスタ モッツァレラとバジルのアマトリチャーナ
◆仙台 五つぼの焼き鳥・ネギ皮巻き、タタキとお刺身
◆仙台 ままや 仙台駅の山形料理 だし、ひっぱりうどん
◆仙台 フルーツのいたがきのロールケーキ フルーツロール
◆仙台訪問2011.5.15~17 まとめ
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私にとって被災地を理解する貴重な機会となりましたが、読者の皆様にとっても同じような機会となることを期待します。
それにしてもハードな日程ですみません(^◇^;)
そちらにも伺えば良かったです。。。とても気になります。
いつか皆さんが行って来て欲しいっていうのをアンケートして、身ひとつでそういうところをまわって写真撮って報告して差し上げるのもいいかなーって思っていたので。
宮城って本当に美しい町ですね。
沿岸部を回られたのですね。それは…。お気持ちお察しします。
私は今回現状をお伝えする、というのが目的だったのですが、もう少し観光色も出せれば良かったなと反省中です。
まだ復旧に手が届いていない場所は必要最低限で。おっしゃるとおりカメラを出すのに躊躇しまくっていました。
なので車で走りながらささっと現状把握した場所が多いです。
あの場所でカメラを出すという行為はなかなか難しくて…ただ伝えるという使命感のみに支えられているような状態でした。
伊藤さんが一番肉食ハードだったですね^^;
有難うございました。
震災の翌日からすぐに動かれた伊藤さんの当時の様子などがとても参考になりました。2カ月経った仙台は確実に復興していましたね。
電話で毎日のように話をするので、状況は頭の中では整理されているのですが、出張で仙台へ行ってきた人からは皆さん共通で「人生観変わる」でした。
見聞きしたものの整理にきっと時間もかかることでしょう。頑張って下さい。
聞こえのいいことばかり書いてるけどネタ探しやね。
仙台を良く知っていらっしゃる方であればあるほど、つらい思いをされるかと思います…。
本当に美しい町であるがゆえにそのギャップが心に迫ってくるのと、何も出来ない自分の弱さを痛感します。
皆さんが明るく頑張っておられるのも人間観改めて考えさせられました。
公営住宅はもちろん、民間の賃貸住宅も国・自治体に押さえられてしまい、個人で住居を探すのは大変だったそうです。
物件が見つかっても引越業者の手配がまた大変で、決まるまでご家族を実家に帰省させていました。
彼は新たな生活がスタートできるだけラッキーだと言いますが、これも現実です。
危険物件に未だ住み続けなければならない方たちも沢山いらっしゃるんですよね・・・
新居がまた新たな生活をスタートさせるご自宅となりますように。
お店もまた危険物件で続けていらっしゃるところがあるようで、今後の仙台のグルメが心配な私です。