「仙台 飲食業界の方へのインタビューでわかったこと」
2011年 05月 24日
3月の震災から、沢山の情報を受け取っていたと思っていたのですが、実際に現地に行ってみると感覚の違いや覆された思想、誤ったイメージを抱いていた部分がありました。
色んなメディアが特に被害の酷いところを取り上げるのは当然の流れとはいえ、津波が来なかった地域の現状をイメージするための情報というのは少ないと思います。
震災から約2カ月の仙台駅前は、想像していたよりも数倍活気があるように見え、夜は東京よりも仙台の方が全然明るいというのがちょっとした笑い話になるほど元気です。いや、元気に見えます。
人々の会話も普通、お店の方も普通に営業されている、、ように見えます表面上は。
東京に帰ってから聞いた話も加えてお伝えするのですが、
震災特需というか震災バブルが来ていて、特にゴールデンウィーク辺りから少し戻っているお店もある。
何割か増しの盛況もしくはずっと売り上げは上向きだ、というお店も。
津波が来なかった地域及び波をかぶったとしても整備の手が伸びた地域は、ここ2カ月で生活が戻って来ているんです。元気を取り戻しつつある町というのはとかくマスコミでは取り上げられないのだ、ということも実感。
しかしその裏には震災からすぐで閉店してしまったお店も数多くあるのです。
話によると4割、もう少しで5割に到達するほどだとか。あるいは今後の建物検査などで営業停止に追いやられてしまう店舗などを含めると、もう少し多くなってしまうかも…。
体力のあったお店は広告宣伝も行き届きなんとかもっている上に、露出が多いことが県外客の目にとまり特需の恩恵を受けることが出来て今に至っている、という状況もあるようです。
現地の人は震災についてテレビや新聞、雑誌でだんだん取り上げられる量が少なくなっている事により、この出来事が全て終わる前に風化していってしまわないか心配しているのです。
たとえ今元気に営業出来ている飲食店も数多の余震でかなりダメージを受けています。
この経済的な打撃と今後の営業見込みを考えれば、まだまだ私たちがやらなければならないことがあるはずです。
「忘れてないよ。心を寄せてますよ。」って意志表示してあげることも必要。
そして何よりも直接の経済活動(=食べる、飲む)によって「仕事をあげる」ことも大切なのではないかと思います。
まだ復興に届いていない場所には今まで通り様々な人間的な生活をしていく上での支援や必要である。でも既に立ちあがり始めた町に対しては今まで通りの支援ではなく次の一手、さらにその先のもう一手が必要です。
現在も含めいずれは、被災者の状況の良し悪しに今よりももっと差や段階が出てきてしまう時期が来ます。
そのひとつひとつの段階に対してもしくは個人レベルまで落とし込んで、どのようにきめ細かく対応していけばいいのでしょうか。
<被災地以外から被災地へ>という次元から、<企業から企業へ>、<個から個へ>といったこまやかなところへ目を配っていく事って出来ないのでしょうか。
ところで少し話は変わりますが、
この2カ月を終え、外食産業に震災特需のようなものが来ていたと書きました。
これは日本全国からのボランティアの皆さんが、お金を落としていってるからです。
ボランティアの皆さんは昼間は泥だらけになりながら働いて、そして夜何軒もハシゴしながら色んなお店で飲食してしっかり経済活動を支えて下さっているんです。
それだけではありません。
飲食店の震災直後の取り組みや活動が、今になって形になってきているという実例も聞きました。
震災直後の炊き出しで食料不足の人たちの胃袋を支えた飲食業に携わる方たちの使命感。
ここで地元の人にお店の料理の味を覚えてもらったという事実と、濃厚になった人のつながり。
人間活動という小さな小川が経済活動という本流へと流れ込んで行く様を、飲食に携わる人たちはきっと感じてらっしゃるだろうと思います。
とにかく仙台市中心部を見た時、美しい定禅寺通りや新しい町並、行き交う人々のせわしないそぶりを見るだけでも少し安心出来ました。
でも繰り返しになるかもしれませんが、
だからと言って支援の手を緩めるところまでは到底来ていません。
3/11のM9.0の東日本大震災とその後の余震、さらに追い打ちをかけた4/7の大きなM7.4の余震。
その中からもなんとか立ち上がり経済を支えるために働き始めた人が沢山いる町は、美味しいものは食べられるしお酒も飲める。観光だって行けるし夜の街で遊ぶことだって出来るのです。
後はお客さんが来てくれればいいだけです。
刻々と状況が変わる被災地に対して今私たちは何が出来るのか。今一度新たな視点からも考えてみる必要があると思います。
さらに。
被災地には「復興」という言葉と「復旧」という言葉、大きく2つがあることがわかりました。
「復興」という言葉が叫ばれている地域はすでにライフラインの復旧などを終え次の段階に入り、私たち被災地から遠い地域の人間と同じ、被災地を支える立場へと変わってきています。これがまさに立ちあがった中心部のような場所を指します。
しかし「復旧」という言葉を使っている沿岸の町は、復興どころか復旧にさえ至っていないという意味を含んでいます。
ひとけを感じないその場所は、ただ風の音とカエルや鳥の鳴き声。がれきと水たまり、津波が運んだ大量のヘドロ土砂の中に埋もれた家や車。
この復興・支援をする町と復旧出来ていない町の2極が、車で数十分圏内に混在しているという違和感。
前者は「見た目」という一面では日常に見える。だからマスコミが報道しない。
それはそれで観光や今後の経済への妨げになっている。
後者は沢山報道されているけれど、今後の復旧は容易ではない事がわかる。
私たちは何をしたらいいのでしょうか。
ほんの少しでも、このブログの記事が皆さんの考えるきっかけになればいいなと思います。
つづく。
【東北支援project 第1弾:仙台 Presented by 山形食べ頃ドットコム】
【東北支援project 記事まとめ:時系列】
◆東北・仙台から帰ってきました
◆東北支援project 第1弾:仙台 Presented by 山形食べ頃ドットコム(オープニング&到着するまで)
◆仙台 イタリアンレストラン チロル仙台店のコスモポリタン
◆仙台 飲食業界の方へのインタビューでわかったこと
◆仙台泉区 ステーキ宮 八乙女店のひとくちてっぱんステーキ
◆仙台 和風オイスターバー kakiyaの松島産カキフライと金華サイダー
◆仙台・作並 作並温泉 鷹泉閣 岩松旅館 岩風呂とお部屋
◆仙台・作並温泉 広瀬川と作並こけし平賀謙次郎商店
◆仙台 縁・YENISHI(えにし)の比内地鶏もも焼
◆仙台 牛すじ薪(しん)の牛すじ赤・白
◆仙台 ハミングバードの生パスタ モッツァレラとバジルのアマトリチャーナ
◆仙台 五つぼの焼き鳥・ネギ皮巻き、タタキとお刺身
◆仙台 ままや 仙台駅の山形料理 だし、ひっぱりうどん
◆仙台 フルーツのいたがきのロールケーキ フルーツロール
◆仙台訪問2011.5.15~17 まとめ
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お話聞かないとわからないことって沢山ありますね。伊藤さんは沢山聞いていらっしゃると思いますが、私は本当に皆さんの努力に感動しまくりでした。
伊藤さんの活動も素晴らしいと思います。ぜひまた別記事で紹介させて下さい。
沢山の言葉や映像が溢れてくるとだんだん本質がわからなくなっていってしまうんですね。。しょうがない事だとは思いながらも残念でもあるし、今後が懸念されるかと思います。
食べて泊まって見て聞いてきたことをここに残しておければと思ってます!