「東日本大震災 7.11」
2011年 07月 11日
4か月が経ちました。
沢山のことがありすぎてたった4カ月前の事なのにすごく昔のことのように感じたり、
あっという間に100数十日が経ってしまった、という感もあり。
5月に多賀城から七ヶ浜に行った時、
悲惨な場所にカメラを向けることが躊躇われて何枚かしか撮影できませんでしたが、さらにその写真をアップすることも出来なくてそのままになっていました。
本来こんなに遠くからは海岸線は見えなかったはずなのに、見晴らし良くなってしまった大地。
海風が吹いてきて埃を高く舞い上げて、なんとなく町は霞んでいました。
人が住んでいた気配がない静かな場所で、瓦礫に挟まったビニールがサワサワと音を立てるのみ。
発展しか見てこなかった私の目にはその意味を自分の中に落とし込むことが出来ず、考えることが出来なくなってしまいました。
あまりにも広いパノラマの景色の中には、地中に刺さったままの車やそこにあったはずのないものが散乱。不幸中の大きな幸いであるはずの無傷で残った住宅街も近くに見えるのに、それすら気持ちの中で整理が出来ない状態でした。
風の波紋を作る大きな水たまりは間違いなくここに津波が来た事を象徴するもの。ブラックホールのような理解不能の塊でした。
私が仙台を訪問した5月の全く同じ時期に私の知人も訪問していたことを昨日知り、東北のために何か出来ないかということを話し合ってきました。
現地の現状がなかなか伝わってこない時間の方が長くなってくると共に、被災者の方たちは忘れられていく恐怖を感じているのではないでしょうか。
この区切り7月11日に改めて、何が出来るのか考えてみたいと思っています。
初めまして。
もしお時間ありましたら、同じ場所をもう一度訪ねてみて下さい。
失ってしまったものの残骸は、少しずつ、片付いてきています。
頑張ろう!と心を奮い立たせようと思っても失った物が大き過ぎて、人々の笑顔の奥は、いまだに涙でいっぱいです。
でも、形から整えて行かない限り、前には進めそうにありません。
悲しい残骸の写真よりも、、「一歩」の写真をお願いできたらうれしいです。
勝手なことを言ってすみません。
コメント有難うございます。
hahamegoのお言葉は震災地の方の尤もなご意見だと思います。
瓦礫の写真を掲載することに意味があるだろうか、と自分に問い続けてこの4カ月。
私が忘れてしまいそうで怖いのです。
日々の事に追われこうして記憶という畑をたまに掘り起こさないと心を寄せられなくなってきている自分が情けなくもあり不安でもあるのです。
あの時の私のフリーズした感覚を絶対に忘れたくないという思いで書きました。
想いを同じところに置けない自分をふがいなく思いますが、これが今被災地以外の東京で暮らす本当の私です。
しかし今立ちあがろうとされていらっしゃる方たちへは配慮のない記事になってしまったかもしれません。
震災があったということが風化されてしまわないよう思って下さっている55aiaiさんのその思い、ちゃんと伝わっております。
目の前に映し出されれば、忘れかけていた人も思い出してくれると思います。
どうか、どんな形でも構いません。
55aiaiさんの思いを55aiaiさんの形で伝えて行って下さいね。
55aiaiさんの心に感謝
私の住むマンションは、今日から修繕工事用の足場が組まれ始めました。
またさらに一歩前進です。