
良い機会をいただいたので2010年くらいから撮りだめた写真を使って、古くからの製鉄技術であった「たたら」と「食」を絡めたトークショーをしてきました。
最初は写真がきっと足りない…と思ったのですが、思ったよりも素材となる写真を撮っていました。
これは、私を色んな所に連れて行っていただいた島根県の方々のおかげです。
話したことにちょっと説明をプラスしてます。
さてこれがたたら場です。
真ん中のお風呂のようなところが「炉(ろ)」です。
真ん中はくぼんでいてそこに「砂鉄」と「木炭」を入れます。

「炉」があればたたらができるのか、と言えばそうではありません。
複雑な構造が必要になります。なぜなら、
ただ燃やすだけでは温度が上がりません。
1000℃近くまで温度を上げないと鉄はとけない!
量産するために高炉にする仕組みが必要だったんです。
建物(高殿と言います)を建てたのもそれが理由です。

そしてこの高殿があったエリアの集落の写真。
菅谷の町。名前の通り谷です。
たたらには技術的な構造だけでなく自然環境が必要でした。
風です。谷に吹き込む風のおかげで、炉の中の燃え上がる火が生まれました。

こちらは日本三大鉄師のひとつが住む、雲南市吉田の町。

山林王である、田部家があります。
話によると1トンの鉄を作るのに3トンの木炭を必要とした、とも言われています。
広大な山を所有していた鉄師のおかげで、日本の製鉄は支えられていました。

奥出雲町の絲原家。
なんとも大雪の時に行ってしまいました…。

絲原美術館ではこの膳が私のお気に入りです。
松江藩のお殿様が御成りの時に、「紋を入れて準備していいよ」とお許しをもらったお膳です。
葵の御紋が入っています。
つまり鉄師は松江藩からも認められており、たたら製鉄について藩が奨励していたことの証です。

そしてこの雪深い奥出雲。
きれいな水が豊富で昼夜の寒暖の差が激しいことで、お米の栽培が盛んです。
食味は日本一レベルを保持しており、特に今年のお米は出来がいいそうです。
天日干し=はで干しの様子。

私がいつも食べている農家さんのお宅では、山水に自生するわさびやクレソンがわっさわっさ生えています。

実はこのお米の栽培も、たたらと関係がありました。
たたらに使う砂鉄の収集方法です。
砂鉄は砂の中に混じっています。
これを取り出す方法として「かんな流し」というやり方を行っていました。
これは、高い方から低い方へ水と砂を一緒に流すことで、軽い砂は水流で下流へ流され、
重たい砂鉄だけが沈殿する。それを採取するという方法でした。
そのため、山はなだらかな勾配が付けられました。
その跡地が今では棚田として使われています。
そのひとつ、大原の棚田は日本の棚田百選にも選ばれています。

御三家の話に戻ります。
田部、絲原と来て、最後の鉄師は桜井です。
桜井家の可部屋集成館は、桜井家の功績や歴史を見ることが出来る資料館で、誰でも入れます。
広大な敷地にお庭や茶室があり、四季折々の美しさがあります。


ソメイヨシノが終わる頃、緑色の桜・御衣黄も咲きます。

そしてこの桜井家で楽しみなのがこちら!
水車でそばの実を挽いて手打ちされるお蕎麦です。


出雲そばの歴史もたたらにまつわるものでした。
奥出雲エリアではそばの実の生産が盛んで、これらも山間のかんな流しや砂鉄を取った後の地に、そばを植えていました。
このそばを好んでお弁当として持っていたのが松江の人々です。
そしてお参りに来た人たちにおそばをふるまったのが大社の町の人々です。
こうして、奥出雲・松江・出雲で盛んに食べられたそばが出雲の名物となりました。

さて、
この辺りからは今回日本遺産のエリアに指定された町にある温泉・お宿・食などを紹介してきました。
まずは雲南市木次(きすき)にある湯村温泉です。
こちらの温泉はお湯の評判が地元でとても良いです。
加水加温なし!すごい!
特に、川の中にある河原の温泉が目を引きます…、があまりにもオープンで、入ったことはありませんし入った人を見かけませんw
小さな温泉町ですが、老舗の旅館とごはんが美味しいオーベルジュがあります。

こちら河原の温泉。
このエリアに宿泊すると、出雲・松江・安来・雲南・奥出雲あたりが比較的まわりやすい真ん中の場所にあたるので、海も山も!という人にはいい場所だと思います(自動車移動が前提です)。

こちらは奥出雲の温泉。
夜は真っ暗な露天風呂。
民宿たなべです。

夜は囲炉裏を囲んで川魚ディナーです。

「木次乳業」もこのエリアです。

私の実家ではこれしか飲みません。
私はたまに、中酪や白バラに浮気しますが家ではきすき牛乳です。

日登牧場へ行くと牛の赤ちゃんがいました。

こんな文化もあります。焼きさば。
名前がわからないお店だけど、インパクトあるw


さばを一匹串打ちして焼きます。スーパーにもこのまま打ってます。
さば消費量日本一の島根県。
昔は山に生魚を持っていくことが難しかったため、焼いてから持っていっていた名残です。

たたらによって開けた山には色んなものが植えられました。
たたらの影響もありますが、奥出雲エリアは元々何を作ってもいいものができるといわれるほどに良い食材が育ちます。
こちらは、木綿。
オーガニック木綿を作っています。

えごまも作っています。
国産えごま100%のえごま油が大人気。品薄です…。

そしてこのえごま油、出雲大社の本殿にも使われています。
屋根の上の黒い部分、千木、鰹木、鬼板。
これらは銅板が貼られていて、その上に塗料としてえごまや松やになどの植物性油、墨、鉛などを混ぜて作ったものが塗られています。
子供の頃、平成の大遷宮でこの姿になる前は、銅板むき出しで緑色に変色していたのを思い出しました。今は黒く勇壮な姿に変わりました。

そして最後にもうひとつ。
安来の町について紹介します。
この写真は新潟県・燕市で見た和釘です。

今や誰もが知る、ステンレスや金属加工で有名な燕市に取材へ行ったときのこと。
ここで玉鋼を見つけました。

実はこの新潟の燕市を含め三条市や北陸の方までも、出雲の玉鋼が運ばれていたという歴史があります。
雲南市、奥出雲町と共に鉄を作っていた安来市ですが、最も大きな役割は港があったことです。
安来港は歴史的にも重要な場所で戦国時代には隠岐の島への玄関口ともなっており、
後醍醐天皇が流刑された時にも安来の港から旅立っています。
出雲地方で作られた鉄は「ヤスキハガネ」という名前で新潟にも送られていました。
その際、出雲崎で荷下ろしされたといわれています。地名の由来にもグッと来るものがあります。
このように見ていくとたたらという文化の裾野の広さと関連性、影響力に驚かされます。
まだまだ他にもありそうですし、調べがいがありそうです。
特に私はまだ安来をしっかり取材できていないので、次の課題は安来です。
今や鉄や金属は、私たちの身近にあり無機質なものというイメージが強いですが、
玉鋼には生命があるように感じるほど、生々しく、人々の知恵と汗がしみ込んでいるような気さえしてきます。
古代の人たちが行っていた野だたらの時代から、もっと量産を、もっと品質を、と人々が考案して出来上がった産業が、今回の日本遺産に指定された出雲のたたらです。
たたら自体を理解するのは難しいことでもあるのですが、私たちが生きている時代と繋がっているところがあると思えば、なんとなく近くに感じることが出来るのではないかと思います。
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そういえば玉鋼をもらいました。
もらえるものなのか…!

あと、お客様がトークの様子をスケッチをしてくださったようです。

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(フェアというか、ゴンドラに積むタイプの小さい催しですが…小さい店舗なので…)
ちょうどブログを読んだばかりだったので、白バラ牛乳と白バラ珈琲、
あと寿隆蒲鉾のちくわを買ってみました。
明日の朝が楽しみです!
こんにちは!コメントありがとうございます。
白バラありましたか!コーヒーも美味しいですよね。あぁ飲みたい!
寿隆かまぼこは子供の頃から食べてました^^
ちくわ、きっと「あご野焼き」っていうやつだと思います♪味が濃くて、ちゃんと夕ご飯の一品になってくれます。