「隠岐の島歴史散歩 玉若酢神社の驛鈴(えきれい)、隠岐国一の宮水若酢神社」
2017年 08月 10日
隠岐の島と言えば「後醍醐天皇」「後鳥羽上皇」を連想される方も多いと思います。
古くは流刑の地として位の高い人たちが都からやってきて暮らしていた場所です。
罪人として流されてきたとはいえ天皇や上皇なので、島人たちは丁寧にもてなしていました。
後鳥羽上皇を慰めるために始まったという「牛突き」も800年の歴史を経て、今も続けられています。
八朔の牛突き(過去記事)
さらに深く歴史を掘り下げると地学的にもとても面白い島で、
何百万年前には大規模な火山噴火があって独特の地形や植生を持ちます。
古代から黒曜石の産地でもありました。
律令制の時代には「隠岐国」があり、奈良時代にこの国を治めていたのが億岐家です。
隠岐家は玉若酢神社の宮司を務めています。
億岐家が今まで守り続けている国の重要文化財であるのが「驛鈴(えきれい)」です。
日本ではここにある2つしか現存していません。
驛鈴は今の「駅」や「駅伝」の由来ともなった、昔の官僚などが各地を行き来する際に
馬や人を交換する場所に置かれていた鈴のことです。
※驛鈴は特別に撮影させていただいています。無断転用を禁じます。
玉若酢神社。
八百杉(やおすぎ)。
幾度もの落雷にも負けず、今だ生き続けている巨木。
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隠岐の一の宮、水若酢神社。
隠岐に伝わった「隠岐古典相撲」にとっては聖地のような場所。
病院が建てられる時や周年記念などにより開催が決まる古典相撲を行う土俵があります。
一度見てみたいんだよなー。
ここの本殿すき!茅葺でカッコいいです。
大社造りにも似てますがよく見ると屋根のふくらみや広がった向拝が独特で「隠岐造」と
呼ばれます。
近々葺き替え&ご修造が行われるようで、お相撲が行われる日も近いです。
ゆるっとしたしめ縄なども少し変わってる。
島根県内は明神鳥居だらけで、やはり出雲大社の流れを汲んでいるのかも?
水若酢の裏にはひっそりと洋館がありますよ!
この洋館、どこか和風で素敵です。
郡役所だったんですって。「旧周吉外三郡役所」。
つづく
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