「上野 東京国立博物館 縄文展2018」

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縄文展を見に上野へ。

なんとあの、火焔式土器が東京にやってきているということで、また見たいから行きました。
あと土偶ね。

火焔式土器は十日町博物館で見たのです。
この記事。


撮影を許可いただくはずが、いろいろタイミング合わずで撮れなくなってしまいました。ごめんなさい。
とにかくたくさんの土器、そしてその後は土偶のパレードでした。
国宝土偶は日本に5体。7月31日で入れ替わるものもあり、必ずいくつかは国宝を見ることができます。
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縄文時代のことはわかっていないことが多すぎて、なかなか見ていてもイメージができないままでした。
しかしひとつの仮説として、縄文式土器は「女性が作っていた」というのはとても興味深かったです。
なんとなく、男性が作っているのをイメージしてたので。
理由は、
女性が嫁ぐことによってその時の流行りの模様や形が各地に伝播していったことが考えられるからとのこと。
動くのは女性だってことです。

また、なぜ編み目を付けるのか。
縄文である必要性はなんなのかということ。
これは、
もともと器は草を織ったものであったからとのこと。
粘土で土器を作るようになっても、過去草織りしていた時代を引きずってデザインを残すというのがとても面白かったです。
しかも縄文は、一度い草のような繊維質の草で編みこみを作って、それを敷いてその上を転がして編み目を写しているんですって。

これだけ情報があってもあんな独創的な形は作れないなと思いますし、
それを左右対称にちゃんと作っていく、
模様を描きながらそれが最後にちゃんとつじつま合うようにぴたっと終われるだけでも縄文人まじリスペクト!

弥生になると突然ぴたっとシンプルな図柄になるようなイメージもありましたが、
縄文時代にも実用的な、何の模様もない土器があったようで、
派手派手しいやつを作らなくなったのは事実ですが、決して生まれ変わったように違うものをつくり出したわけではないらしいですよ。
そういうところ、もっとちゃんと説明があるとよかったなー
この時代、大陸は色付けによる図柄ばかりなのですが、日本だけが浮き出るように張り付けたり、また彫りでデザインしたりしていたようです。縄文のうねうねとした幾何学模様は、どこに影響されたわけではなく日本オリジンだったんですねー
つまりハレの日使いの派手土器は、弥生時代には全く使わなくなってしまったってことで。
だったらそのハレの日に使っていたのはいったいなんだったんでしょうねー。祭祀かな?
まあわかんないことは、だいたい祭祀か呪術でまとめる傾向(笑)

あと、
青森県弘前市で発掘された「猪型土製品(土偶)」は国宝にすべきだと思います(笑)

トウハクのおみやげはこちら。
友達にもあげます。
火焔式土器のクッキー型。
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私の家にはコップのフチ子的な土偶もいます。
みみずく土偶。
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縄文展は9月2日まで!
本館の建物もすてきです。
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ちなみに常設の部分の埴輪は撮影できました。
どでかいお馬さん。
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よく見ると修復の跡や作った時の跡も見えますね。
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等身大女の子。
手を下にピンッとしてる。実はスカート履いてたりもする。
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有名な土偶たくさん見れたしすごく勉強にもなったから、縄文展ありがたかったー。
ちなみに今回、
考古学専門分野の方に解説お願いしながらまわりました。
それがないと正直全然背景がわからないなってことがたくさんありました。

丁寧に見ると2時間半くらいかかります。
見たいものだけを見ながらまわらないと相当疲れちゃいます、念のため。


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by 55aiai | 2018-07-22 08:00 |   ●台東区・墨田区・文京区 | Comments(0)

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